ラブコメの傾向と対策。

を世相の変化に見る。
ゼロ年代以降、ラッキースケベ、妹、ツンデレ、百合などさまざまなジャンルが定着した。こうしたジャンルは初めは流行として生まれ、そして定着していった。
こうしたジャンルに近似したものが昔から無かったわけではない。しかしながら多少の変化をもって今に至る。

さて、非現実を描く上で受け手が求めるものは『現実には無いこと』『あるある、と共感を得るもの』である。ここに一つ加えたいのが『かつてはあった(ありえた)こと』である。
歴史モノが創作物では多少なりの評価を受ける。しかし何百年と昔に遡らずとも、自分の幼年期の『時代』を思い起こすような事でも十分なのだ。

昔の創作物(ラブコメ)では、家が隣同士の幼馴染がメインヒロインである作品より、学園のアイドルや高嶺の花といった存在がヒロインであるパターンが多かった。当時、現実のアイドルというのは手の届かない存在で、幻想を求める人も多かった。それを二次元に変換して昇華したい、という願望もあったのだろう。
現代では、その幻想は壊された。変わりに身近な存在に目を向けようとした。だが、人間関係が希薄になった今では、お隣さんが同い年の女の子でも、しょっちゅう遊ぶような関係を気付くのは難しい。そこに幻想を求めた。(なお、団地内関係ならまだありえるだろうが、絵面的に難しいし、団地モノのラブコメを見たこともない)
身近な存在はまだいる。それを家族の中に見出した。妹である。生まれてきただけで無条件で関係が作れる存在はこの上なく至高だ。だが、出生率も芳しくない現代、兄弟どころか一人っ子であることも多い。
逆に、アイドルとして働いているが気さくなキャラというのも、現代では少なくない。すなわち、人が求める幻想の総量は大して変わっていないということだ。


創作物は『過去』『現代』『未来』におけることの三つに分けられる。未来の出来事は未来のおけることとして独立するのがベスト。だが現代における出来事は、過去からの変化によるものなのだ。