平等と公平について。
平等を喩えるなら、上司にも部下にも、年上にも子供にも、全て同じ言葉遣いで話しかけることであり、公平はそれぞれによって変えること。
今の日本なんかは顕著ですが、努力もせず成果も出ず、と評価される人が大声荒げて『給料上げろ』『待遇良くしろ』と叫んでるんですよね。それでそうした最底辺の人を持ち上げても何にもならないのに、さらに成果も努力も挙げている人が落とされるのは、凄く非効率的ですよね。それが平等な社会。公平な社会は、まあ成果主義に成りかねませんが、経済面でも社会的地位でもちゃんとした評価を与えられることです。
今の日本は『平等な社会』になっていて、個人のスタートラインもゴールラインも決められています。最底辺を向上させるのも目的だったとは思いますが、そのラインが多少上がっても、最底辺にいる人間が増えただけだという(それは勉学とか精神面だけでなく、経済面も含めて)。最低偏差値は上がっても、標準的と呼ばれる人間がどんどんラインを下げていっているから、実は全体では底辺付近に人間が溜まってきているのです。
問題なのは、そこから這い上がるシステムが日本には無いことです、だって勝手にスタートして、基本的に高校及び大学を卒業したら一つのゴールですから。気がついたらテープを切っていた人はそう少なくないはず。そうして社会人のスタートが勝手に始まり、やれ成果だ残業だしていたら、そら働くのも嫌になる人は出てくるんじゃないでしょうか。
頑張る人がそれなり以上の給料を貰うのは当然ですし、自分は自分の生活のために働いてるのであれば、企業はまあ並みの給料や待遇を与えればいいでしょうし。日本であれば、本来はそこに個々の家庭を尊重した企業努力があればいいんですがね。
まあ努力せずに成果を挙げられる人もいるし、楽して金儲けとかは人の常なんでね。自分は少なくとも、頑張らないし成果も挙げない人はガン無視でいいと思いますがね。