未だかつて無い。

某テレ東の番組で『今の子は本当に運動神経が悪くなったのか』ってことをやってました。
まあ言うまでも無く、トップとボトムの差が開いたってことなんですが。でもそれだけではない。トップは昔よりも成果が上がっているのに平均が下がるこれ如何に。これ如何にって平均より下が相当引っ張っているってことですな。昔は『良い:普通:悪い』が3:4:3だったのが2:4:4になったっていうのが例えとしてわかりやすいか。まあ『三間が無い』と取り上げられてはいるものの、運動専門の家庭教師とか世も末な気がします。
とはいえ逆上がりなんかも、自分が子供のときに周りがみんな出来ていたかと言えばそうではない。アレばかりは多少運動神経の良くても体重があると子供の時分難しい。自分は小学校の頃、決して運動神経が良いほうではなかった。貧弱なボーヤで、自らを評価すれば『下の上』。持久走では後ろから数えたほうが早い順位。新要綱で言えばDの真ん中くらい。運動神経の無さがコンプレックスと言えるくらいだった。
でも、逆上がりは三年生までには出来るようになったし、スイミングスクールに行っていたので、主要四種の泳法は三年生終了時までですべて出来るようになった。まあぶっちゃけそれだけ出来るようになっても、Dの上かCの下までしか小学校のときはレヴェルが上がらなかったのですが。
今の子は生活根本的にか、まずこのラインにすら到達出来なさそう。無論運動神経は後天的なものがほとんどなわけで、自分も中学高校と運動部に入り、高校のピークはAにほぼ近いBまで体力テストの結果を残せた。けれども、昔のような『外で遊ぶ』ということを当然のように出来た世代とは少しばかり『下地の差』があると思う。こと現代、『下地』を選ぶことは可能になっているのだ。自然な体力をつけることを要綱に掲げる私立幼稚園、幼児のころからのスポーツ教室など運動神経を意図的に上げる環境は昔より格段に揃っている。やろうとすればいくらでも鍛えられ、下手をすれば(いや、しなくても)昔の子供が遊びによって鍛えていた下地を追い抜くことさえ出来る。そう、ここ。この下地の差が昔よりトップを上げ、何もやらない子供はボトムを下げていく。
こんなところにも、格差社会