甘いだけなら。

杉内舞汰氏とポルト玄蔵氏の対談。
ポルト氏(以下P)「日本は間違った道をとったと思うんですよ。先進国の中でも低かった性犯罪件数は、『なぜ少ないのか』をむしろ他国が見習うべきだったのではないか」
杉内氏(以下杉)「日本の悪いところですね。グローバリズムが広がる中でもそこだけは譲っちゃいけなかった。外からの意見の前に『じゃあ日本くらい犯罪の無い国にしてから意見してください』と」
P「性犯罪だけじゃなくてすべての犯罪、日本が『安全である理由』を世界に発信するくらいの意地が無かった・・・」
杉「日本の『毒を以って毒を制す』という言葉は大切だったんですよね。テレビにしろ漫画にしろ、昔は開放的だった。そしてそれに興奮することで性的欲求を解消することが出来た」
P「でも今ならネットで補えるのでは?」
杉「あれはもう、規制の反動で溢れ返ってしまいましたね」
(中略)
(話はやや興奮気味なものの、他の話題に)
杉「今の子ども、小学生以下の話ですが、同じ世代もしくは近い世代の異性の裸を見る機会が少ない」
P「あー確かに・・・自分の子どもの頃でも二年生までは水泳の着替えは一緒でした」
杉「自分が女子じゃないんで一方的な意見ですが、実際そこまで意識するかといえばしませんよ。規制がゆるかった頃のテレビに映った女性の裸のほうがよっぽど興奮した」
P「自分の周りでも、そういった同世代の裸を積極的に見る子は多分いなかったかな。むしろスカートめくりのほうが(流行ってた)」
杉「小さい頃の男子ってそんなもんですよ。幼稚園の先生とかに憧れるように、子どもの頃はどうしてか年上のほうが良いように思える。たとえそれが自分みたいなロリコンでも」
P「でもなぜロリコンに変化する?」
杉「それは経験の差と言いますか、ある程度年を重ねると、例えばエロ本・AVなども見る機会は増えていきます。今であればネットもありますからね。成人女性の裸を見る機会は多い」
P「でも、子どもの裸を見る機会は無い、と」
杉「もちろんゼロではないですよ。銭湯に行けば見ることもあります。ただまあそれくらいで」
P「満足はしないと(汗)」
杉「ロリコンに満足もクソも無いと思いますけどね(苦笑)。ただ、自分たちくらいなら、子どもの頃見たというストックがあるからいい。今の子どもはそれがないから、潜在的だったロリコンの資質が簡単に顕在化されてしまう」
P「少子化の今、姉や妹がいる家庭も少ないですし」
杉「でもそれって大切なんですよ。男性みなロリコン源氏物語からわかりきったことです。書いてるのが女性ならなお反論できたものではないです」
P「説得力ありますね、源氏物語(笑)」
杉「本来、そうしたロリコンになる資質がすべての男性にあり、その資質の強弱に差はあれど、顕在させるのは環境です。特に年少期の経験は重要で、この際如何に同世代の子どもの裸を見るかは、将来真性にしてもわずかなものにしても、ロリコンに目覚めるかにおいて重要な鍵です」
P「家族に妹や姉などがいればそれは緩和される?」
杉「真性だとあまり効果ないと思います(汗)。それでもある程度はマシになると思いますが」
P「じゃあそれ以外の、日本男子の気質的なロリコンはどうすればいい?」
杉「子どものうちに解消しなければいけない。ネットの存在が大きくなった昨今ですが、そうした画像はまず見られない」
P「アップしたところで即削除ですね」
杉「男性の中の、これまで見たことのある成人女性の裸と子どもの裸の割合は、今圧倒的に前者が多い。かつ、これから十年、二十年経てば後者がさらに少なくなる。前者でお腹一杯になった成人男性はどうなる?」
P「成人女性に見向きもしなくなる・・・」
杉「それはもちろん。だけどそれ以上に、子どもに対する犯罪、こと性犯罪の増加は否めない」
P「どうすれば解決できる?」
杉「正直、最善の方法は思いつかないんです。ネットや高性能な携帯電話・デジカメがここまで広まった以上、規制をゆるくするのは難しい。ロリコンがちょうど増えた世代にドカンとネットが当てはめられたから、緩めたら緩めたで犯罪は間違いなく増える」
P「かといって規制を強めるのは逆効果だと。冒頭で言われた『毒を以って毒を制す』が出来ない」
杉「そのとおりです。昔は『子どもの頃に同世代のこの裸を見る』という毒で『大人になって子どもの裸を見たがる』という毒をうまく制することが出来た」
P「日本はまだかなり安全だったのに、それを続けられなかったからここ数年性犯罪は増加してきた・・・」
杉「ぎりぎり保っていられるのは、まだ創作物があるから。多分これらまで規制されたら、日本は終わりますよ。ロリコンは増加するのにロリコンの毒を制するものまで無くなったら、その対象は言うまでも無く実物に向かう」
P「実際の未成年者に対する性犯罪増加・・・本当に日本は安全な国でいられなくなるのか・・・どうしちまったんだ、日本」


文化の違いはあれど、確かに日本は子どもを対象にした事件は少なかったと記憶しています(表面化していないこともあると思いますが。当時とは価値観などもだいぶ違って、体罰や躾なども基準が違ったわけで)。子どもが対象の事件もあれば、子どもが起こす事件もあり。悪事を起こせば必ず罰があるというのは、体罰はともかく、必要だということを、今の親はわかってない節がありますね。
社会が云々言う人はいますが、私だってあなただって『家庭』という社会を代表しているわけです。地域社会、学校、職場、大きく見て日本社会というのは『家庭という社会』の集合体であることを忘れないでいただきたいと存じます。