サムシングドリーム。

日本はもう、精神的な意味での『国民が幸福を感じる国』になるのは不可能かもしれない。特に男性は。
女性は、変化はせども各世代の変化の方向性、足並みが揃っている。世代間の考えの違いは、あっても結婚観や育児程度で、あとは細かく個人間の差くらい。ファッションなんかも世代ごとで流行はあるが固定化はされていない。同じように『変化』している。
だが男性はどうだろう。男性は、今と昔でやること、やれることの変化が大きく、さらには環境による差異が大きい。力仕事も機械化で負担が減ったし、テンプレ的な言い方で『男子は外で遊び、女子は室内で遊ぶ』なんてことも、今では男子は室内でゲーム三昧。
しかし、あくまで環境の差異。例えば職。特に男性が多い職場では、昔から上下関係が鬼のように厳しい職場も存在するだろうし、ブラックな会社もある。家族経営だったり、同族経営だったりするところは体質が変わらないところも多いわけだ。ただ、もちろんそういうところに就職する若者もいる。
今回考えたいのは、『教育』が大きく変化したことで、各世代に精神面での差異が大きくなったことだ。特になぜ男性に大きく出るか・・・というか女性に差が出ないというのは、日本女性特有の集団性であったり、同じ方向性での変化を望む精神であり、教育は変化したが、同様に上の世代の考え方も下の世代に刺激されて変化している。柔軟性である。これには良し悪しの慣習関係なく変化するという面がある。
一方の男性は言うなればプライドが高く、自分の考えを譲らない面もある・・・というより、自分の世代の考え方が正しいと考えてしまう。一方で、例えば前述した体質の変わらない職場などで他の慣習に染まることがあり、それは受け継がれていく。それはどの環境でも似たようなもので、家庭、学校、職場、近所付き合いなど・・・受け継がれた慣習は残され、今成されている新たな慣習との差は広がっていく。最近で言う『草食系男子』なんかでもそうだが、昔の世代なら「酒も飲めないようなやつが」と言うかもしれないが、最近の若者なら無理強いすることもあるまい。女遊びも別に覚えることでもなし。モノも、必要ないなら買う必要は無いという考え。ここでも世代間の差が出る。
そしてその差は性別間で大きくなり、さまざまなずれが生じる。そのずれを互いに理解できていないからさらにいびつになる。
人間生きる上で様々なずれやすれ違いはもちろん仕方ない。だがそれが大きくなって、再生不可能の状態になればどうしようもなくなる。特に日本の、戦後からの足掛け六十年での『精神面での変化』は著しいものがあり、本来それは成長と捉えられなければいけないはず。なのにそれほど評価されないのは、やはり世代間の価値観の差が大きすぎるのか、本当に成長していないのか。長寿の国では評価することすら危うい。