う〜チクる!

ネギま、タイムマシン説(6/3の日記参照)
基本自分は単行本派なので、15巻を読んでの。
仮に百年後から来たのなら、彼女の存在そのものはやはりこの時代には無いわけで。修学旅行編でおそらく一番命の危機を迎えたわけだけど、(そのとき赤松氏が今を見据えていたかはわからないんですが)やられていたらどうなるんだろうみたいな。ただ、チャオ自身がまだ存在しているのだからそのあたり手を出したほうがむしろ危険なのではという判断があったらすごい。
タイムマシンの効果は二重存在を認めているけど、使用者を世界の分岐点(『時間軸の境界』とでも呼べばいいのか)にたたせているっていう表現をすると良いのか。仮に自分と同一存在(厳密に言うと、様々な知識や記憶を背負っている分タイムマシンを使った未来のネギたちとは違う)に出会ったとしてもそれは所詮分岐点の一つでしかないという考えなら、パラドックスはおきないわけで。しかし、チャオには似て非なる同一存在が同時代には存在しないわけで。まあ未来の時点で過去を変えれば未来が変わるという希望の元に動くのであれば、来ても間違いではない(書きかけ)