一年をこんなに早く感じるのに。

電撃姫智代アフターのインタビューで麻枝准氏。次回作もやはり樋上いたる氏とのこと。来年末に出したいと言っていたが、無理だろうなあ(笑)
Kanonの後にわずか一年半であのクオリティを出したAir、シナリオ的にはAirの二倍に達して制作期間も二倍になったCLANNAD。個人的にはシナリオの長さはAirくらいでちょうどいいので(あれ以上というのは無茶かもしれないが)クオリティをさらにあげていってほしい。あれ?そうなると来年末というのも若干現実味があるぞ?まあそれが無理だとしても再来年には出そうだ。
まあいずれにせよ楽しみです。冬、夏、春と来たらいよいよ最後の秋かな!?そんな簡単に行けば世の中は楽だよ。季節感大事にするKeyだからありえそうだけど。Keyは三部作になるのか四部作になるのか、それが問題だ。

最近は恋愛の進展が相当に微妙なスクランですがその遅さ加減がいいんでしょうな。
スクランといえば単行本二巻のカバー絵を伏線に仕立てたことで有名。しかし以降にこれといって伏線を拾っていない気がする。最近で言えば妙姉さんの孫子(そんこ)が一巻から重ねてきたのはすごい。
同じ雑誌内で比較されるのはネギまだが、この両者というのは違いがある。
ミステリーとサスペンスほどの違いである。
ミステリーは犯人が最後にわかり、サスペンスというのは犯人が最初からわかっていてそこから追い詰めていくことを言うらしい。ミステリーがコナンでサスペンスが古畑任三郎って感じ。
で、そう考えるとネギまがサスペンスでスクランがミステリーが当てはまる。
ネギまは「マギステル・マギになる」「父親に会う」という目的がはじめから存在し、ストーリーに出てくるキャラクターライン(主人公のネギも含めた個々の伏線)を広げてから少しずつ収束させていくやり方。AI止まはどっちつかずだったが、ラブひなは思い出の女の子がいるという話がありそこから最後に収束させていった。赤松氏はこういうタイプらしい。
一方のスクラン
はじめこそ天満が烏丸に告白することが目的なサスペンス傾向だったが、そこはダブル主人公であったがゆえに混迷をさまようことになる。烏丸が転校を先延ばしにしたから「告白」がひとまず置かれてしまった。実際初回だけを読めば「どのように思いを伝えるか」「彼を自分に振り向かせる」というラインで進められる。しかしそれならばここまで巻数は伸びやしない。もしくは打ち切られただろう。だが打ち切られず、話は複雑に。目的であるはずの烏丸大路が全く出ない巻まで出る始末。目的が完全にあやふや、それどころか本格的に闇の中に入るところだ。なぜならストーリーが進むにつれて天満がほかの(とはいえ該当するのは播磨だが)男の子を好きになるという可能性が否めないからだ。サスペンスは終わり方が何個か想像出来、それまでのルートがいくつもできることになるが、今のところスクランの終わり方というのは想像できない。今ある道を辿ることしか出来ない。スクランはミステリー的見地にある。
故に十巻を数えた今、過去を振り返ることは何かしらの手立てがあると思って、読み返した。
スクランにおいて家族関係というのはいまだに明確にされていない。これがどう今後の物語に響くのかが気になる。スクランにおいて家族が明確にわかるのは花井、美琴、愛理。烏丸は両親の許可を取って残ったのだから両親は確定。播磨は一見わかりづらいが弟・修二の年齢的に両親がいないのはおかしいし(最悪どこかの養子である可能性はあるが)、そうなると播磨は例えば両親と喧嘩して絶縁状態であることが想像できたり、中学時代のぼろ屋は何とかして工面した金で済んでいたぼろアパートだったり、その後高校に入ると矢神高校に近いからと従姉弟の絃子さんを頼ったのかもしれないし。まあ個々にも謎は多い。第二巻では家賃もろもろ折半していると播磨が語っているのだが、そのお金がどこから来るのかということ。バイトをしている描写はあったが恒常的ではないので何とも言えない。そうなると親が実は振り込んでるんじゃないのかなーとも思えるわけですよ。で、お金の面でもそうなのですが、塚本姉妹はもっと謎なわけで。両親は不明だが、八雲の過去の夢(浴衣の回)ではその時点でおねえちゃんらしいことを天満がしている。当時の年齢はわからずだがわざわざ何とかしてあげるのは本来は親の役目であろう。だから小さいうちから二人きりだったのかもしれない。ここで高野はやはりわからないと言っておき。はじめの巻では天満がお嬢さんぽいといわれていることからもしかしたらいいところの生まれである可能性もあるんじゃないのかなと。八雲のバイトだけではいくらなんでも足りないと思うんだよねえ。だから元から金のあるところを、何とかして減りを少なくしようと八雲が奮起している感じ。家に蔵があるのもそのあたりなのではと勘繰る。
そして物語の核になりうる「烏丸を好きになった理由」はあらわにされるか。というより時系列的に中学時代に寝ぼけて言った好きという言葉の真意はどこにあるのか。天満は同じクラスになるまで烏丸と会話をしたことがなく、遠目から見てきたというのは何かヒントなのかもしれない。もし中学のときから烏丸に好意を寄せていたのだったら二年間にも及んでいることになる。
しかしそう考えるとある意味では初回の手紙(巻物)で目的がほとんど果たされた気がしなくもない。天満の周りはあわただしく動くのに、天満本人は周りを掻き回したり、ほとんどその場から動いていない。彼女が動いたのは初回だけなのだ。
この物語は天満に関する見えない部分がどれだけ明かされるかで一気に加速しそうな気がします。