拡声器。

ブサンボマスターから話を広げてみる。
ブサンボマスターを始めて見たときは吹いた。もともとサンボマスターを知っていた側から入ったのだが、まあ(サンボ)ファンには批判されているそうな。自分はそうでもない。もちサンボは好きだがこうしたパクリ(オマージュ?)はお笑いとしては一向に構わない。しかしある意味サンボにわざわざ目を向けた製作者サイドの付け所もいいものじゃないだろうか。サンボは今でこそ多少有名になったとはいえ、たとえば浜崎あゆみとかSMAPとか(まあサンボ自体バンドだからスタイルの違いもあるだろうが)に比べたら知名度が低いのは言うまでもない。同じバンドでもミスチルラルク、ROM、175Rに比べても。確かにサンボのサウンドは異色で、現代では隙間を縫ったサウンドだろう。しかしこれが十年前だったらどうだろうか。おそらく受け入れられない。ビジュアル系が群を抜いていたこともあるが当時は受け入れられる音楽がまだあったし、サンボのようなアーティストももしかしたら存在していたかもしれない。
さて、これとブサンボマスターをつなげてみる。コントや漫才も様々なタイプが存在する。漫才ならダブルツッコミ(今なら千鳥とか)ボケなのに時よりつっこむ(タカアンドトシなど)ボケ置いてけぼり(とろサーモン)などいろいろ。しかしそれらは昔には無かったものだろうか。自分はせいぜいボキャ天時代(ネプチューン爆笑問題くりぃむしちゅー(海砂利水魚)、さまぁ〜ず(バカルディ)など)が精一杯だがお笑いブームは二度経験している。さらに昔には八時だよ全員集合、さらには上方漫才と多いから被らないわけはない。お笑いブームは若者が知らない時代の芸をすり抜けて『これまでにはない』ものをピンポイントに狙ったから始まったのだと思う。まさに『流行に敏感な』日本人らしいと言えばらしいのである。ブサンボマスターのような、たとえばアーティストをもじったようなコントはこれまでだってもちろんあった(自分が印象にあるのは山田邦子の『愛は勝つ』の替え歌だが)。
かいくぐって歴史は何度も繰り返しているわけだ。
だからあれだ。言いたいのは今の流行は十年後には無き物になっているかもしれませんよ、ってことです。