ろりきょにゅうろん・番外編

巨乳は昔ならアダルティなシンボルとして機能していたわけだが、現代ではそうでもない。生活の変遷によって、早熟な子も増えて高校辺りで完成することも多い。自分の近辺でも、小学校高学年辺りで大きい人もいたし(微ぽっちゃりタイプだったが)、今だとそれ以上に子供でもおしゃれなファッションを着ることもよく見られるため、アダルティックシンボルが行方不明になりやすい(ホットパンツに生足・ニーソなど)。ファッションは正直言って、ここ数年単位で見てもおしゃれになっており、十年単位で見れば雲泥の差であるように思える。
巨乳というのは一種の母性であり、創作でも大人の女性は大きく描かれることは多い。一方で三次においては巨乳に大差はない。ロリ巨乳(年齢を広い領域に取ったとして)はさほどレアではなくなっている。また、スレンダー志向から、体は細いが胸はある、といったパターンも少なくない。
ここにうまい住み分けがある。アダルティックな巨乳は、豊満な肉体というポイントが付加される。一方ロリ巨乳はハリのある体にアンバランスに付いているという点が評価される。
さてロリ巨乳だが、巨乳はアダルティックな存在に変わりない。そのため、性的興奮を覚える諸男子も少なくない。そこで自分の性癖を勘違いしてしまう可能性は多々ある。自分はロリコンである、と勘違いする可能性だ。先に述べたが、今の子供はおしゃれになっており、そこに女性らしさを感じてしまう男子もいる。人間の本能として、自分の子を安全に産めるかというものがあり、昔はそれが大人の役割であり、そのような意識を感じさせる対象は大人の女性で出産適齢期の女性であった。それが少しずつ年齢の低い方にシフトしているのだ。実際、流産リスクなどは昔より低くなっていて、若い少女でも大丈夫ではないだろうか、と考えてはいなくても本能で感じてしまうのだ。
ロリ巨乳はそれを助長するジャンルとして、これからの時代の悩みになるかもしれない。


追記:
現代ではおそらく、無意識に低めのストライクゾーンだけが広くなっている。それは低目だけがストライクゾーンというわけではなく、ストライクゾーンがかつては普通であった男性が、時代の変遷で低目が有効であるとしていることもあるだろう。それを成したのは子供をおしゃれにしようという親(特に母親)と、要求に答えたファッション業界と、それを煽ったマスコミである。


何かロリ巨乳論じゃなくそれを用いたロリコン論ですね。
昔に比べて子供がおしゃれになったというのは、昭和生まれまでなら実感できるはずです。小さな地方都市ながら、秋冬なら子供はトレーナーとズボンってのばかりだった気がします。小学校の卒業アルバムも多分そんな感じです(可愛かった子でも現代っ子のおしゃれ度合いには勝てない)。今は冬ならダウンジャケットにホットパンツに黒タイツとか見る時代になりました。おしゃれを大人の特権から外したことも、ロリコン増加の要因かもしれません。(ちなみにおしゃれ特権は女子限定です。男の大学生のファッションを中学生にさせてもまったく絵にならないが、女子の場合は許容範囲になってしまう)