言及。

死にたいと、大臣に手紙を送る件があります。
まあこれを読んで本気で死なれたら後味悪いんで話六割くらいで。
そうやって、遺書めいたものを送るのであればその人は未練があるという事でもあります。まだ、マシです。世の中には、そんな言葉すら出せず苦しむ人なんてたくさんいます。死ぬより辛いだろうほどの苦行の中で、それでも希望があると信じていられる人。それがおそらくは今話題になっている方々で、希望すらない、『生かされている』という感覚の人はさらにひどいわけで。私も、昔から死にたいと思う願望が強く、かといって自分を傷つける勇気も無い。かといって、死ぬ勇気がかっこいいわけもない。
昔(といっても数年かそれくらい前)、人生を全て金額に変えて生きるような教師、というのが主人公のドラマがありました。死ぬのにも金がかかる。たとえば飛び降りにしても、警察が動く、死体処理の係が動く、葬儀屋が動く、とか。まあその方々のお金になってしまうわけです。そんな風に考えたら、何てチンケなものなんだ、死なんて、と思う。
確かに、もう生きていられないという感覚は、半分くらいしかわかりません。もしかしたら一割もわかってないかもしれません。ただ、助けを求めるのはかまいませんが、あなたの人生まで背負う都合なんてないわけです。大臣さんがある程度、学校制度とか変えたりどうのこうのはしてくれるかもしれないけど、あとは自分の足で歩け、そういうわけです。
だって、誰かを足代わりにした人生なんて、早いですよ?いろんな意味で。